心神同源

気づきから始まるすべての道

終わりなき属国半島

よく朝鮮は中国の属国だったと聞くが、どこから属国であったかを簡単に調べてみた。

三韓新羅朝鮮半島東北ー東南)高句麗(西ー西北)百済(西南)]、唐(中国)

日本(7世紀)の時代に遡る。白村江(韓国西南)の戦い(663.10)というのがあった。

唐・新羅連合軍と日本・百済連合軍との戦いで、日本・百済軍はあっけなく大敗して

しまった。当時、高句麗百済が唐と敵対しており、百済は自国の干ばつや飢饉を省み

新羅への攻撃を止めなかった。そのような事情を唐は把握していた。

 一方日本は遣唐使としてエリートを情勢に合わせて派遣(653-654)させたものと考え

られている。659年ころ、唐は遣唐使を洛陽に駐留させて日本に百済討伐の情報を流さ

ない工作をした。660年唐軍は助けを求めてきていた新羅といっしょになって百済を倒

す。(百済の役)百済の役で敗れた残党は友好国である日本に助けを求めて白村江で一

緒に戦うことになる。(663.10白村江の戦い)666年唐はさらに勢力を拡大して高句麗

を668年遂に滅ぼした。敵対国は東アジアで日本だけになった。新羅は唐と友好国にな

ると唐の軍事行政機関を襲撃殺傷する一方で使節を使って唐に降伏を願い出るという<

アメとムチ>を巧みに使い分けたその結果、唐軍は冊封(属国に許可を与える)によっ

新羅による朝鮮半島統一を許可した。675年唐軍は朝鮮半島から撤収した。

 10世紀に唐が滅んで新羅も高麗に変り宋やモンゴル帝国などの支配下に取り込まれ元

モンゴル帝国末裔)も衰退して明が興ると高麗の武将李成桂はクーデターを起こして

明に寝返った。李成桂を支持した両班漢民族こそ正当な天子であると主張して明の属

国になることを歓迎した 先帝の高麗王を勝手に退位させ李成桂自ら即位したので明か

ら王位は授からず朝鮮国を統治する権利のみが冊封された1393年、宗主国明と属国李氏

朝鮮となって朝鮮国が誕生した。後の李氏朝鮮は清国の属国になるが明の中華文明の正

統な後継者は李氏朝鮮だとし、小中華主義、朝鮮朱子学、崇儒廃仏などの思想を発展さ

せ、年号は明時代のものを使った。時代は下って日韓併合時時代は朝鮮からみると日本

宗主国であるが、清と李氏朝鮮との関係に近く崇められる存在ではなかった。今の宗

主国属国関係は中国北朝鮮北朝鮮韓国でしょうか。これからはどうなるのだろうか。