心神同源

気づきから始まるすべての道

米中戦争か

 昭和20年に原爆が投下されて日米戦争は一変してしまった。日本の降伏と同時にシナ共産党はロスケと共に旧日本軍の置き土産を使って国民党軍と戦って勝利した。ロスケは時間的空白を狙って北海道を強奪しようとしたが叶わなかったので、樺太、千島列島その他の島々を奪った。

 原爆投下の死亡者数は広島で30万人以上、長崎で18万人以上合計50万人以上に及ん。遡る昭和12年12月ー翌年2月の南京事件。被虐殺者が20万だの30万だのと騒がれた。南京事件以前の南京の総人口は100万人以上とされたが直前には50万約半分ほど減少したとされている。中国側の南京防衛軍の推定総数は6万~15万と推定される。

 昭和12年12月14日、公文書以外の捕虜、敗残兵、便衣兵数は山田支隊歩兵第65連隊によると8000人が収容されて1000人が処断。逃亡7000人のうち当日夜4000人が逃亡、連れ戻された者は観音門へ連行された(幕府山事件)。同日の公文書によるものは、第六師団歩兵第45連隊により当日午前下関で5500人収容。当日午後釈放されている。日本軍による南京占領で民間人への被害が少なかったのは欧米管理の南京安全区国際委員会によって南京市民が守られたからだと秦郁彦氏の分析。スマイス調査によると日本軍の南京市民への被害は1万2千~2万6千人という見解があるようだ。

 東京裁判南京事件が非人道的な残虐行為であるとされたことも周知のとおりであるが、昭和13年1月1日武漢で発行された共産党広報誌『群衆』では南京で残虐行為が起きたという短評が発表された。「南京大虐殺」という表記は私の私見だと1980年前後から始まって最近は「南京事件」に変わったという認識である。シナでの反日教育に利用されたという見方もできる。

 ここまでいろいろキーワードを書き連ねてきたが、シナはアヘン戦争から始まって以来強力な戦力を持たず強いものに巻かれ欧米諸国と日本の援助を受けて巨大化し中華思想をウイルスに乗せて世界にばらまく巨大モンスターになった。

 一方黒人の大統領が日本に来たり、キリスト教のドンが日本に来たりして原爆と平和を唱えたが、我々の父祖は白人植民地主義と戦って原爆を落とされた。世界最先端の八紘一宇というグローバリズム大東亜共栄圏を掲げたが、シナとのいざこざによって消され止めの原爆投下で打ち砕かれた。

 シナは抗日戦、反日教育ばかりだった。欧米諸国は植民地獲得と白人帝国主義ばかりだった。

 シナの恨みは日本のリーダーシップと白人に勝てる筈もない(実際は勝算のある戦いだった。)戦闘精神の恐ろしさに向けられた。日本人の指示で動くことなど苦痛だった。巨大モンスターはまさに今出番が来たと思ったのか。日本はこの渦にどう向き合うべきか。(参考ウィキペディア