心神同源

気づきから始まるすべての道

日本神道は一神教でも多神教でもない

 昨日、YouTube武田邦彦先生の動画を見た。とても感動した。私も以前から日本神道について個人的に勉強してきて、世界に類を見ない完成された宗教(ここでは神道を宗教と定義する。)であると考えてきた。神道ははっきり言えば宗教の頂点に鎮座し世界最高峰であると考えている。なぜなら「和を以て貴しとなす」「八紘一宇」「五族共和」などという人類皆兄弟、共に繁栄そして共生しようじゃないか?という考え方が一神教多神教にはあるのだろうか。先の戦争で大東亜共栄圏というASEANのような地域連合を作った。欧米の植民地は奴隷植民地主義で、日本がアジアで推し進めた植民地とは全く内容が異なるものである。この話をすると、先の戦争が侵略戦争かアジア解放戦争か?という話を説明しなければならなくなるので、ここではアジア解放史観で書き進めていく。

  話を戻して、「五族共和」とは日本が満州国を建国した時の理念。五族は日本人・漢人朝鮮人満洲人・蒙古人を指す(引用:ウイキペディア)が、ここで言う五族とはこのように狭義で特定民族的な意味でなく五行説でいうところの宇宙のすべてのつまり全人類的な意味を含んでいる。日本は一貫してこの理念を現在まで全うしていると思いたい。

   武田先生曰く、「日本は多神教では?という人がいるがそうではない。一神教とか多神教は、生活が苦しくて仕方がなく民衆が絶望の淵から這い上がるために生まれた宗教でそもそも日本とは発祥が違い、各々が民族が信仰しようとする神が一神か多神かの違いなのでは。日本神道は、豊かな自然環境に恵まれて衣食住に不自由はないが、たまに河川の氾濫や天災人災などが起こる。そして豊潤であるがゆえに、傲り高ぶり油断して災厄に陥ることもある。その戒めとしての感謝の念や崇拝尊敬思いやり思想を人間、動物、自然の中に神の存在を見出して信仰するようになったのでは」と。

 このお話を聞いてこの上ない感銘を受けた。私はずっと原始的人類の最初は多くの人々が日本神道のような考えを持っていたが大陸で人口が増加すると食料など様々な物資の争いになり階級が出来て行き、八紘一宇などという理想は夢物語となり、理想郷を求める者は東へ東へと逃れて行き過酷な海峡を渡って新天地を発見して住み着いてその原始宗教を存続させて行ったとか、或いは日本列島は大陸と地続きであったころの住民が何代にも亘って住み続けている過程で日本は列島化して行き元々あった原始宗教を単独で発展させ渡来人との交流も重なって現在の神道へと進化したと考えていた。今回武田先生の新たな視点を頂き心豊かになりました。先生の論説に謝意を表します。

米中戦争か

 昭和20年に原爆が投下されて日米戦争は一変してしまった。日本の降伏と同時にシナ共産党はロスケと共に旧日本軍の置き土産を使って国民党軍と戦って勝利した。ロスケは時間的空白を狙って北海道を強奪しようとしたが叶わなかったので、樺太、千島列島その他の島々を奪った。

 原爆投下の死亡者数は広島で30万人以上、長崎で18万人以上合計50万人以上に及ん。遡る昭和12年12月ー翌年2月の南京事件。被虐殺者が20万だの30万だのと騒がれた。南京事件以前の南京の総人口は100万人以上とされたが直前には50万約半分ほど減少したとされている。中国側の南京防衛軍の推定総数は6万~15万と推定される。

 昭和12年12月14日、公文書以外の捕虜、敗残兵、便衣兵数は山田支隊歩兵第65連隊によると8000人が収容されて1000人が処断。逃亡7000人のうち当日夜4000人が逃亡、連れ戻された者は観音門へ連行された(幕府山事件)。同日の公文書によるものは、第六師団歩兵第45連隊により当日午前下関で5500人収容。当日午後釈放されている。日本軍による南京占領で民間人への被害が少なかったのは欧米管理の南京安全区国際委員会によって南京市民が守られたからだと秦郁彦氏の分析。スマイス調査によると日本軍の南京市民への被害は1万2千~2万6千人という見解があるようだ。

 東京裁判南京事件が非人道的な残虐行為であるとされたことも周知のとおりであるが、昭和13年1月1日武漢で発行された共産党広報誌『群衆』では南京で残虐行為が起きたという短評が発表された。「南京大虐殺」という表記は私の私見だと1980年前後から始まって最近は「南京事件」に変わったという認識である。シナでの反日教育に利用されたという見方もできる。

 ここまでいろいろキーワードを書き連ねてきたが、シナはアヘン戦争から始まって以来強力な戦力を持たず強いものに巻かれ欧米諸国と日本の援助を受けて巨大化し中華思想をウイルスに乗せて世界にばらまく巨大モンスターになった。

 一方黒人の大統領が日本に来たり、キリスト教のドンが日本に来たりして原爆と平和を唱えたが、我々の父祖は白人植民地主義と戦って原爆を落とされた。世界最先端の八紘一宇というグローバリズム大東亜共栄圏を掲げたが、シナとのいざこざによって消され止めの原爆投下で打ち砕かれた。

 シナは抗日戦、反日教育ばかりだった。欧米諸国は植民地獲得と白人帝国主義ばかりだった。

 シナの恨みは日本のリーダーシップと白人に勝てる筈もない(実際は勝算のある戦いだった。)戦闘精神の恐ろしさに向けられた。日本人の指示で動くことなど苦痛だった。巨大モンスターはまさに今出番が来たと思ったのか。日本はこの渦にどう向き合うべきか。(参考ウィキペディア

中国語を学ぶということ

1.何故学ぶのか

 趣味に生かしたいという思いから。漢詩、落款、書道、掛け軸、焼き物、茶華道などに通じるものがある。私の部屋は、李朝家具と昭和レトロの水屋や中国の磁器などがあって和中李折衷になっている。令和時代に相応しいのかなと自己満足もしている。もう一つは隣国であること。そして明の影響を受けた李氏朝鮮両班の文字は漢文であった。

 

2.学んでわかったこと

 優れていると思うところは、記録、箇条書き、報告書、メッセージなどを相手に伝えることにはとても便利だ。リズミカルで良い。口喧嘩にも都合が良いかもしれない

 残念と思うところは、感情の表現や色彩の表現が単調。日本語を変換するとき適当なものを探すのに苦労する。反り舌音などの発声は可逆性的で少し不快になる。

 日本語は譲り合う言語で中国語は戦って獲得する言語であり、日本語は物事の経過を重視するが中国語は結果を重視する。言霊という言葉に漢文を取り合わせた日本文化文明が更に愛おしくなった。守破離を実現させた言語が日本語なのかもしれない。

 

 

 

トップバリューとカゴメ愛好家に特化したカゴメのコミュニティ戦略

家から近いということもあり食料品をイオンで買うことが多くなった。気が付くとトップバリュー商品が目立つではないか。生活用品全般にトップバリューが幅を利かせている。商品の陳列は有名ブランド商品の隣に必ずと言ってよいほど置かれている。しかもかなり安価でパッケージもそっくり。肝心の商品の中身はというと、ゆで麺を例にすると、やはりトップバリューは本家の製品に劣る。焼きそばを作ろうと買ってみたが、麺に腰がなく切れ切れになった。本家は一袋68円、トップバリューは一袋38円。良いものが食べたい客と値段にこだわる客を分け、さらにメーカーをイオンの傘下に置いて支配するつもりなのだろうか。

一方、カゴメはどうだろう。消費者参加型の未来志向の商品開発を目指しているようだ。「カゴメファンを知る」「カゴメファンに伝える」「カゴメファンと一緒に体験する」の3つを目的としたコミュニティ「&KAGOME」。

ちょっと前から静かなブームの「食育」という考え方がある。私が通った高等学校の家庭科にも「食育」という概念はなかったが、同じような教育はあった。健康で安全な食品を選ぶ。生産農家から小売店まで環境はどうなっているかとか。「食育」はそのことにプラス「地域の見直し」がある。地元野菜を食べようとか。住んでいる場所と同じ気候風土で育った動植物を食すという考え方がある。自分を取り巻く環境により近いものが健康にも良いとする考え方である。私のように都会暮らしではなかなか難しいことだが。飲食を通して健康~文化~生き方改革に舵をきっていく時代の到来か、または一人勝ち巨大大家さんの家に間借りする住民として生きて行くのか。もちろん選ぶのは消費者に委ねられている。

 

                

蕗と牛蒡の茎と葉

昨日、牛蒡の茎と葉っぱで佃煮を作った。食感は地植えの蕗にそっくり。だが香りが違う。蕗のような春らしさがない。食べなれてない所為だろうか。でもどちらも好き。

 

材料:牛蒡の茎と葉っぱ、塩(あく抜き用適量)酢(柔らかくする適量)昆布鰹あご出

   汁

作り方:鍋に適量の水を入れて沸騰させ塩を入れてよく洗った茎と葉っぱを入れ、あく

    抜きをする。黄緑色に発色したら取り出して冷水にさらす。再び鍋に水を入れて沸騰させ酢を入れて冷水にさらしておいた茎と葉っぱを適当に刻んで入れる。柔らかく筋が無いようであればだし汁と醤油で煮込む。20分煮込んで漬け置きしてまた20分煮込んで汁が少なくなるまで漬け置きする。

柳宗悦の美意識から思うこと

 かなり前に読んだ本に『民芸とは何か』という本があった。その本は私がまったく求

 めていたものだった。今から思うと美意識というのはこの場面で美しいと感じなさいと

子供の頃から知らず知らずのうちに叩き込まれてきたものがあった。それは掃除をして

綺麗になった、整理整頓して美しい気持ちがいい、確かに清々しい感じはする。

 

確かに一直線に植えられた大根、仏壇の輝き、桜の花は直感に美しいと思う花ではあ

る。江戸時代に河川の氾濫を防止する目的で両岸に桜が植えられ、お花見をする人たち

が花を愛でることで地盤も強化されることを意図したという。私が習っている華道など

は、華道理論と言うものがあって基本的には法則に則って活けあげていく。すなわちそ

 れは生け花人が共通の美意識でもって共感を得る為である。

 

「これは素敵ね」と思うのは端的に言えば法則性を持たせているからである。またそれ

は同じ流派の生け花人にしか通じない共通の美意識でもある。伝承させていくためには

共通の概念を持続させる必要がある。まあそれはそれでよい。

 

宗悦は、美を目的とし人に気に入られる為に造られた作為的な作品を好まない。例え

ば床の間飾りの天然石の煌びやかな置物とか。そうではなく、人の為に使われる日常使

いのいわゆる日用品というものに美を見出した。それを「用の美」と宗悦は名付けた。

雑多な器であったり、民芸品と言われるようなもの古民家の器類、調理器具、掃除道

具、工具など「人に使われて初めてその使命を全うするもの」に美を感じたのである。

 その道具たちは使命を持って誕生し、人に使われることで磨きがかかりさらに美を兼ね

 備えていく。華道でも轡を花留めとして使うことがある。轡の使命は花留めではない。

 馬の口に当てて手綱をつなぐ馬具である。先人がこれは美しいと感じたので花留めに使

われるようになったのだ。代表的なものは伝統工芸品と言われるようなものではない

か。

 

定義は100年以上の歴史を持ち日常使いのものだったと思う。わかり易いのは桐や

欅の箪笥などの家具。部屋に置くだけでもインテリアとして美しい。曲げわっぱのおひ

つや弁当箱、漆器 陶器、などは比較的手に入れ易い。時代が変わって高級品のイメー

 ジだが、周知のとおり100年以上前は当たり前の道具たちだった。そんな庶民の道具に

 美を見出して広く知らしめたい、普段の生活で「用の美」を感じてもらえたらと考えた

 のが宗悦の美意識だった。決して作為ある煌びやかで高価なものを批判しているのでは

 ない。それはそれでよい。ただ、有名作家の作なので値段も張って人気があるので間

 違いないと買い求めて愛でるだけだとすれば、味気ないではないか?と言っているだけ

 だと思う。NHKドラマ『黄金の日々』で千利休ルソン島の何の変哲もない壺を良いと

 言ったものだから旦那衆がこぞって高値で競り落とそうとするような場面があったと思

 う。それを思い出す。

 

宗悦は、美を追求した美術家の作品と民芸や工芸と言われる職人の作品を共存させよう

としたが宗悦も直感的かつ個人主義ではないかと批判され関係者からの反発にあったら

しい。美意識は千差万別で良いとは思うものの。

 

話は飛ぶが今回の「表現の不自由展」はどうだろう。美はあったのだろうか。

今回の件は、公金が使われた催しにおいて、多くの人々に不快感を与える作品の展示が

有効かどうかが問われていると思う。 美意識は、仲間同士である程度共感できて無理

をしない範囲で楽しめて生活に潤いを与えるものであって欲しいと思う。その為の「表

 現」が信憑性を疑うような悲哀に満ちて直訴するようで、皆に共感を得られるどころか

滑稽としか思えないものであってはならないと思う。